始皇帝天下統一/作品情報
中国史上初の天下統一を成し遂げた秦の始皇帝の生涯を描いた歴史超大作
あらすじ&キャスト
紀元前259年、趙国の邯鄲で人質となっていた秦国の王孫・嬴異人とその妻・趙姫の間に嬴政が誕生する。紀元前251年秦の第28代君主の死により孝文王が秦王となり異人は太子となる。紀元前250年、1年の服喪期間後に即位してわずか3日の孝文王が死去し王位を継いだ異人は呂不韋を丞相に就かせて東周を滅ぼし治国安民を築いていく。呂不韋は敵国から秦に戻った嬴政を見て覇王になれる器だと思い13歳の秦王を立てて補佐して権力を握る。
他の諸国を次々と攻め滅ぼし紀元前221年に中国史上初の天下統一を果たした嬴政の生涯を描いた歴史超大作
全78話で紹介します
ネタバレ鑑賞感想/始皇帝天下統一
第25話/楚から来た花嫁
趙姫は華陽太后が楚の娘・羋華を秦王(嬴政)に会わせたと知り文句を言いに行くと大王の婚礼の準備をした方がいいのではと言われます。
羋華を選べば軟禁を解くが選ばなければ華陽宮の使用部分を半分に減らすと告げ去ります。
嬴政は母・趙姫が斉の王女・離秋を推薦するので羋華と婚姻できる策を考えるよう李斯に命じると生母と仲違いするのはよくないので二人娶れば斉にも楚にも義理が立つが王妃を誰にするかが問題だと言われます。
楚王は何としても羋華を娶らせるよう華陽太后に文を送り、斉と秦の間にある趙国はもし攻められたら挟み撃ちとなるため警戒します。
趙姫は離秋を紹介したいから宗室の名で宴を開いて欲しいと渭陽君にお願い羋華も招待して恥をかかせようと企てます。
秦王がやってきてから羋華の席を用意させ、斉の公主・離秋を迎え入れます。場の雰囲気に我慢できなくなった羋華が無礼を承知で出て行き嬴政が後を追っていったので大臣たちはざわつきます。
第26話/敗局
斉の公主・離秋を迎える宴で嬴政(秦王)は我慢できずに出て行った楚の娘・羋華を追います。
呂不韋は嬴政のもとに行こうとする趙姫に「大王あっての太后です」と止めます。嬴政は自害しようとした羋華を止め離秋と共に必ず妻にすると告げ連れて戻ります。
そして羋華と離秋の二人と婚礼を挙げることを宣言し混乱させないためにも王妃は立てないと告げるが王も諸侯も王妃がいるので反対されます。
趙妃から王妃を立てないのなら太后も用なしなのかと訴えられるが時代と状況に応じて変えるのが得策であり後宮が原因の混乱を防ぐためにも王妃を立てるべきではないと告げます。
呂不韋も渭陽君も賛同したことで反対意見はなくなり嬴政は二人と同時に婚礼を挙げます。
呂不韋は春平君(趙佾)が何度も訪ねてくるのは何か目的があるのだと気付くと李斯は趙王・趙偃が臣下の不満を買っているので帰還したいのだろうと言います。
帰らせて兄弟が争えば趙は大混乱となるため帰らせるべきと嬴政に進言します。
楚と斉の娘を娶った途端に趙佾を解放するのはなにか魂胆があるはずと趙王は動揺すると「私を王妃に、息子を太子にしてくださるなら妙案がある」と妻に言われます。
第27話/合従軍の形成
秦に人質に取られていた趙太子・趙佾は帰還できるようになるが趙の都・邯鄲に戻る前に弟である趙王・趙偃の夫人の策謀に引っ掛かかってしまいます。
「辱めたと趙王が知れば殺されるし大臣が知れば支持されない、民から軽蔑される」
趙佾はここで初めて趙王夫人だと知り罠に嵌まったのだと気付きます。自ら王位奪還の念を諦めざるを得ない状況に陥ってしまい重たい空気が流れるなか趙王に謁見します。
これにより呂不韋が画策した趙への謀略は趙王妃によって打ち砕かれました。
秦の都・咸陽、来年二十歳になる嬴政(秦王)は周礼では加冠し親務を始める年なので渭陽君に協力を願います。
楚・韓・魏の民が秦へ逃走し秦への非難が殺到していることに目を付けた趙王は嬴政をつぶすために他国と合従して秦攻めを図ろうとします。
情報を仕入れた李斯から報告を受けた嬴政は6国は何度も合従して秦を攻めたがいつも函谷関で阻まれてきたので民と財が無駄になるだけと思います。
親政を始めれば局面は変わると進言された嬴政は李斯が呂不韋を失脚させるべきと言いそうだったので止めさせます。
嬴政と呂不韋の不仲で朝廷が不穏であり水利工事で財力も人力も消耗しているので民が流れていくなか合従するのは十分あり得ます。
嬴政は重臣たちを呼び意見を求めると合従させて敵の精鋭をたたくべきと李斯に言われます。呂不韋も秦の国内が乱れていると噂を流し合従の気運を高め函谷関の外で合従軍を包囲するべきと言います。
第28話/守られた都
秦を攻めるために連合軍は少水を越え濩沢に進みます。
連合軍は楚の春申君が長を務め趙の龐煖が主将となり60万の兵を率いていると報告を受けた嬴政(秦王)は呂不韋が前戦に出るというので任せることにし函谷関の外で迎え撃つと告げます。
紀元前241年、趙、魏、韓、楚、燕の5国が秦を攻撃。
連合軍が曲沃に入ると呂不韋は70万の兵を陰晋で待機、函谷関外、守備の三手に軍を分けます。連合軍は60万の軍勢なのに函谷関に進んでいるのは30万であり呂不韋は考えていると蒲阪への川を渡ったと報告が入ります。
敵は臨晋を破り二手に別れました。龐煖が咸陽を目指し項燕は陰晋で桓齮を迎えます。蕞城には姜瘣の5万の軍のみだと知った嬴政は咸陽の兵糧と矢を送るよう命じます。
咸陽と目の鼻の先の蕞城まで連合軍が迫っていると知り民たちはついに滅びるのかと怯えます。嬴政は商人や人質が噂を流しているのだと察知し関係者を拘束するよう命じます。
蕞城で放たれる矢が明らかに少なくなってきたので咸陽の矢もなくなったのだろうと察知する龐煖だったが、秦は奇襲が成功し各部隊が蕞城の援護に向かい連合軍の精鋭を一気に殲滅し勝利を収めました。