作品情報キャストの紹介
関羽。中国後漢末期に劉備に仕えた武将で字は雲長。
武勇だけでなく人徳に優れ義理堅い性格は敵からも称賛され死後、神格化され関聖帝君とされた人物。
映画「三国志英傑伝 関羽」は曹操と関羽の関係だと知り、これは面白そうだと期待した。しかし描かれているのは有名な話ではあるが建安5年(200年)に曹操の捕虜となった関羽が奥方様を連れて劉備のもとへ帰る五関突破のみです。
かなり期待はずれの映画だったので知識・感想など足して書きました。
ネタバレ あらすじ
三国志英傑伝 関羽
関羽の生首が届けられ木製で造った体部分と共に棺に入れられた。
葬儀の準備に取り掛かる曹操は関羽の思い出を語り始める。
〜20年前、建安5年。漢王朝は戦乱の世にあった。曹操は少ない兵で各地の反乱を沈め国の安定をはかっていたが袁紹に攻め込まれると武将が次々と倒れ白馬城を包囲された。
この時、捕虜となっていた劉備に仕える関羽は曹操に仕える武将を集めて士気をあげ張遼と共に戦場に向かいます。
敵の武将・顔良に惨敗していた曹操軍だが関羽は青龍偃月刀であっさり倒すと一気に形勢は逆転し白馬城の包囲を解きました。
関羽は皇帝陛下から漢寿列侯の封号を贈られるが曹操は朝廷を操っていると感じます。
武力だけでなく民からも慕われだした関羽の人柄を曹操は気に入ります。
劉備への忠誠心を捨て自分に仕えるよう曹操に言われた関羽は劉備の家族を人質にとって命令とは筋が通ってないと断ります。
何も恐れず豊かな感情を持つ関羽に曹操はますます気に入ります。
曹操は劉備が袁紹のもとにいる事を知ると劉備の家族を張遼の護衛を付けて故郷に返しました。
曹操の好意に関羽は感謝します。
曹操は関羽に酒を進め想いを寄せる劉備の許嫁である綺蘭と関係を持つのを期待したが関羽は義兄弟を裏切る事はなかった。
劉備が袁紹のもとにいる事を知った関羽は曹操にお別れの挨拶をするため訪ねるが外出中との事だった。
虎を放つようなもので難敵となるため仕える者達は反対するが曹操は関羽を止めてはならぬと命じました。
曹操と約束した関羽は綺蘭を連れて向かうが5つ関所で漢献帝の命令で命を狙われることになります。
各関所で武将が殺害され曹操は配下が命令に従わず関羽討伐の指示を出していた事を知り後を追います。
曹操と交渉した関羽は配下にはならないが世の民を救うため曹魏に残り袁紹を倒すのも悪くないと思います。
しかし平和をもたらすのは劉備だけだと考える綺蘭は相思相愛なら認めてくれるから一緒に戻ろうと言います。
義兄弟を裏切れない関羽は断るが複数の矢が馬車に突き刺さります。曹操が助けに入ると関羽を殺さねば戦乱は終わらないと考える漢献帝が姿を表します。
曹操は天下を平定したら始末すると約束するから陛下だけには手をかけるなと止めに入ります。曹操には天下平定は無理だと思った関羽は背を向けて「奥方様参りましょう」と劉備のもとに向かいました。
ここで映画は20年後の曹操が葬儀を行う最初の場面に戻ってしまう。
これには驚きました。
関羽が亡くなるまでに、建安13年に三顧の礼で諸葛孔明の迎えた事や、曹操が15万の大軍を率いて荊州に攻め入った時に関羽は趙雲や張飛と共に民を逃すため立ち塞がった長坂の戦いなど大きな出来事がある。
なにより曹操と関羽の関係なら「赤壁の戦い」だけは取り入れないとダメではないだろうか。
赤壁の戦いで最後に曹操を追い詰めたのは関羽です。そのとき捕虜となっていた時の恩を感じていた関羽は曹操を逃したのです。
その後、長い間、呉や魏との戦いがあるが建安24年、関羽は息子・関平と共に呉と魏の連合軍に挟まれ退路を断たれて捕虜となり斬首されました。
曹操は涙を流し語ります。
…関羽を死に追い詰めたのは直接手を下した呉の皇帝・孫権だが蜀の皇帝・劉備や諸葛孔明のような者も同じだ…
曹操は呉と蜀の対立を狙い関羽の首を手厚く葬り、誤は波風立たぬよう立派な葬儀を行なったが呉と蜀の同盟は崩れた。
劉備は挙兵の前に関羽を祀り玉泉山に祠を建立しました。(終)
関羽の死後、呉の呂蒙は呪い殺され、首を贈られた曹操は睨みつける関羽の目を見て亡霊を見るようになり衰弱して病死した…説がある。