作品概要/キャスト
北宋第4代皇帝・仁宗の功績を描いた歴史超大作
北宋の皇帝・趙禎(仁宗)は太后が生みの親ではなく生母は李蘭恵だと知る。李家への恩返しから愛娘・徽柔を李家の子孫・李瑋に嫁がせる。朝廷では大臣たちが激しく対立し趙禎はその狭間で公正中立を旨に各派の調整を図りながら治世に努める。徽柔が前代未聞の大事件を起こすと社会規範を犯す大罪だけでは収まらず仁宗の国政を揺るがす一大騒動に発展してしまう。風雲急を告げる天下の行方、そして徽柔が辿った壮絶な運命とは・・・
中国時代劇「孤城閉~仁宗、その愛と大義」全69話あらすじ一覧
全69話で紹介
ネタバレ感想/孤城閉
4話・天罰なのか?
趙禎は武后臨朝図を太后に献上したり先帝の崩御直後に武后に学べと太后を唆した官吏・程琳に不信感を抱きます。
宰相・王曽を呼び意見を求めると人や物事は一面では判断できぬものだと言われます。
ここ10年で一番熱く2か月も雨が降っていない事で趙禎は一日一食にして開宝寺で雨乞いを行います。曹家の令嬢・曹丹姝は食事を減らすのはただの人気取りで雨が降るわけないと文句を口にすると干害が己のせいだと考え自分を罰しているのだと范仲淹に言われます。
趙禎は民の暮らし向きを広く調べ店の主や住人と仲を深めた韓琦に感謝すると陛下の親政を求める范仲淹らの奏状を中書省が差し止めていると知らされます。
趙禎は太后に会いに行くと明君としての風格が増してきたと褒められるが臣下の手柄だと告げます。開宝寺で祈る中、皇家の行いに関し悟ることはあったかと聞かれ「失った徳を補うに足りると感じれば恵みの雨を与えて酷暑を除き民に平安を下さる」と言います。
趙禎の言葉が心に刺さる太后は宋と趙家に恥じる点などないはずと自問自答します。陛下はまだ若く自分は気を緩めるべきではなかったと告げると陛下はもう成人され即位した頃のようにすべて助ける必要ないと宰相は進言します。
趙禎は先祖が答えを下さらなかった今過ちが分からないので、徳と仁をもって民を治め共に手を携えて国のために励み天に応じようではないかと重臣たちに訴えます。
5話・主席にふさわしいのは?
趙禎は太后に招かれ養蚕と桑の栽培を学びにきた曹家に広く民間に伝えてくれと告げます。その場にいた曹家の令嬢・曹丹姝は許婚がいるものの皇帝の姿を見て目を奪われます。
晏殊は科挙を受けた欧陽修から漢の司空は専門職だが周の司空は地図の管理だけではないので周と漢の司空どちらを論じればいいのかと試験問題の矛盾を指摘され、趙禎と共に彼を評価します。
しかし、欧陽修が書いた詞が広まり女官たちも書き写すようになると太后は軽薄で淫らな詞だと非難します。
晏殊は妓女遊びに淫らな詞だったので才に浮かれ過ぎてしまったと後悔し榜眼(第2位の成績で進士に及第した者の名称)ではなく14位にします。趙禎は王拱寿を状元(一位)として拱辰の名を与え、劉沆を二位とし、欧陽修を状元に推す気でいたが過ちとは言わないが品性に欠けていたと太后に告げます。
太后は病気を患っていた李蘭恵が危篤状態だと報告を受け宸妃に昇格させます。そして陛下に李蘭恵が危篤だということ、そして大朝会に参加しないことを伝えさせます。趙禎と幼馴染の苗心禾は陛下にそばにいたいと太后に願うと嫁ぐ気あるかと聞かれ決心します。
朝廷の乳母・許氏は苗心禾を宮中に閉じ込めたくないと太后に告げるが命じたのではなく自ら決めたのだと言われます。
趙禎は実母が危篤だと聞いても会いにも行けずに悲しみ、慰めてくれる苗心禾と一夜を過ごし家族となります。
6話・袞衣での参拝
李蘭恵が亡くなり朝廷の重臣・呂夷簡は葬儀がまともに執り行われないと知り「劉氏一族の将来がどうなってもいいと考えているのですか」と太后に進言します。
長年育て真心を尽くしてきたのに母子が反目するはずないと激怒されたので、陛下の李氏への情は慚愧の念、一時の怒りに任せ陛下の慚愧を怨恨に変えるのですかと訴えます。
太后は公主を産み皇陵を長きにわたり守った功績により手厚く葬ると告げ、嘉慶院に安置し朝議を三日間取りやめ、正式に洪福院に埋葬するよう命じます。
天子の礼服である袞衣をまとい祭祀を行おうとしていたが袞衣を着用しての参拝は規則に反すると臣下たちから反対されます。
趙禎は太后が喘息の発作が酷く安眠も出来ていないようだと知り晏殊を訪ねます。太后が袞衣をまとい参拝したいのは権威を示したいわけではなく若い時に勇気がなくできなかったことをやりたいだけだろうと相談します。
太后が病だ知れば孝を理解してくれるかもと言われ重臣たちを集めます。病である太后が袞衣をまとい参拝を望むのは長年の補佐の功績を祖先と先帝に報告するためだから反対したくないと告げます。
趙禎は日に日に悪く太后に回復を祈って薬を飲ませます。自分が亡くなれば李氏が生みの親だと天下に告げ、李氏を母に戻し長年欠いていた孝を尽くす決めていたから長年耐えてきたんだろうと訴えられます。
李氏が亡くなってしまったために私を恨んでいるはずだと責められ、「天下は趙家のもの、太后様が先帝に代わって私に渡してくれた、安堵すべきでは?」と告げます。
礼官は太后が袞衣をまとうことに同意するが衣装の十二章紋のうち宗彝、藻の二章を外し剣は佩かず龍花は16株、冕冠の前後に垂れた珠翠は各12旒へと改編しました。
7話・苦しみの中の公正
太后の通夜中に陛下に会わせろと八大王(趙元儼)が押し掛けてきます。
趙禎は心の病なので咎めはせぬが通夜の邪魔をするなと告げると生みの母である李蘭恵の仇を討たないのか、陛下と生母を会わせず毒殺までしたと喚かれます。
民間にまで噂は広まってしまうと晏殊は生母が李蘭恵だと知っていたのに伝えなかったことで孝を尽くす機会を失わせた罪で自分を左遷するよう願い出ます。
自分だけが知らなかったのかと心を痛める趙禎は賢臣を納得させ民心を安定させ諸侯の風紀を正すために師匠を左遷します。
范仲淹は「太后様は先帝の命を守っただけで非はありません。陛下の嫡母を23年間も務め慈愛をもって補佐を行った。ただ礼に反したのは劉氏一族をひいきしたことだけ」と上奏します。
趙禎は事の真相を確かめるため劉家を包囲するよう張茂則に命じます。徹底的に調査し生母は李蘭恵で間違いないが遺体を調べ病死だと明らかになります。
「朝廷の重臣として人を断罪するときは慎重にせよ、名誉を傷つけるは人を殺すも同様、太后まで濡れ衣を着せられそうになった」と叱責し、太后の位牌に懺悔して許しを請います。
皇后が尚美人と楊美人を朝臣と結託したと叱責して手をあげ、止めに入った趙禎は指輪が首にあたり傷を負います。
徳に背いた行いをするとは皇后に相応しくない、婚姻して長いのに子がおられぬのは皇后の嫉妬と横暴が原因ではないかと呂夷簡に進言され、趙禎は天下の母には向かないと決断します。
8話・立后争い
范仲淹たちは皇后だった郭氏に大過はない、廃后など不適切だと訴えます。
呂夷簡はこの機に范仲淹を失脚させようと「陛下に直接訴えるのはあるまじきこと、国の体面を損なう行為であり重臣失格、左遷を求めます」と奏状を送ります。
趙禎は「太后のあとは陛下に媚びる」と郭氏に言われたから目の敵にしているのだと張茂則に告げます。反対の奏状を止めて廃后を進め諫官に殿門をたたかせるという罪を犯させたのだと見抜いている趙禎だが郭氏は皇后には向いていないので廃后を取りやめることはしません。
予想通り呂夷簡が左遷を求めてやってきたので「一理あるが尚美人と楊美人の方が朝臣と結託し問題だから問罪せねばならない」と告げると大人しく引きさがりました。
趙禎は事態を終結させるため楊太妃の養女・陳熙春を妃嬪に迎えようとします。楊太妃に呼ばれた張茂則は「腑に落ちぬ」と伝言を授かると、趙禎は陳熙春は商売人であり計算高くがさつだと重臣たちから反対されます。
苗心禾と過ごした趙禎は話し合いを重ね重臣たちが推挙する曹家の令嬢で構わないと告げ、寵愛する熙春に会いに行きます。