始皇帝 天下統一/作品情報
中国史上初の天下統一を成し遂げた秦の始皇帝の生涯を描いた歴史超大作
あらすじ&キャスト
紀元前259年、趙国の邯鄲で人質となっていた秦国の王孫・嬴異人とその妻・趙姫の間に嬴政が誕生する。紀元前251年秦の第28代君主の死により孝文王が秦王となり異人は太子となる。紀元前250年、1年の服喪期間後に即位してわずか3日の孝文王が死去し王位を継いだ異人は呂不韋を丞相に就かせて東周を滅ぼし治国安民を築いていく。呂不韋は敵国から秦に戻った嬴政を見て覇王になれる器だと思い13歳の秦王を立てて補佐して権力を握る。
他の諸国を次々と攻め滅ぼし紀元前221年に中国史上初の天下統一を果たした嬴政の生涯を描いた歴史超大作
全78話で紹介します
ネタバレ感想/始皇帝・天下統一
第61話・韓非の正体
悼襄王が秦の謀略にはまり魏、燕、韓とも亀裂が生じたので春平君は気落ちしないで欲しいとお願いし力を合わせ秦に抗したいと訴えます。
楚から景涵、韓から韓非、魏の魏霑までもが邯鄲に集まっていると知った秦王・嬴政は渭陽君と王綰にどんな対応すべきが相談します。
天下統一を目指す軍事行動と同時に文字の統一を進めるため完成した新しい書体を秦篆と名付け、商人は秦篆を用いて交易の契約を交わすよう命じ6国と交易する者も必ず遵守せよと強要します。
李斯は燕の丹太子の文を受け取るのはおそらく韓非だと予想し彼なら策を見破る可能性があると思います。
天下の大勢を見通し大王の心を窺えるのは韓非のみだと告げると才能ある者が敵対するのは歓迎しないと嬴政は言います。
その頃、韓非は秦篆は三晋と燕、楚は受け入れないだろうが秦と交易している斉は事情が異なるため秦が6国の足踏みを乱すための計略だと見抜きます。
韓非は趙に行き趙偃の葬儀に参列する5国を説得し6国の団結と合従を呼びかけます。斉の死者が反対だと訪れたので嬴政は強要しているわけではないので斉の商人を入国禁止にするしかないと訴えます。
第62話・秦篆
燕の丹太子は馬車を走らせていると何者かに短剣を突き付けられ咸陽(秦の都)を出ろと強いられます。
追われているのであれば助けると告げ燕太子である証拠を見せると相手は趙の者であり密偵がバレたから逃げてきたと知ります。
李斯を暗殺するために春平君の命で臨淄へ行くと言われ、斉で死ねば斉王は怖じ気づき秦王も黙っていないから止めるべきと訴え、韓の韓非が臨淄へ向かったはずだから心配ないと告げます。
韓非は商人たちに派遣され訪れている李斯を足止めするよう命じ斉王に謁見します。6国は秦王の明に従っていないし交易を禁じたのは斉に対してだけあり属国としてしか見られていないと訴えます。
李斯はかつて学んでいた稷下学堂に行き集まる学士たちに秦篆のすばらしさを宣伝すると同時に斉に滞在中の秦の商人たちの協力を得て斉王に秦篆を採用させることに成功しました。
第63話・最後の決断
韓非は趙の都・邯鄲を訪れ春平君・趙佾に斉王が李斯に説得され通商に秦篆を採用することに同意したようだと伝えます。
他の5国は対抗できるため反撃の対策を寝るために趙に足りないのは将軍ではなく国を治める才だと言います。そして20年以上秦にいて失脚した呂不韋が求めているものを与え丞相として迎えるべきだと進言します。
李斯は邸宅に戻ると趙の丞相・郭開から文が届いており趙は呂不韋を迎えるつもりだと秦王・嬴政に伝えに行きます。
呂不韋を洛陽から追い出すべきと秦王が進言を受けるころ、春平君は農作を耕す呂不韋を発見し声をかけます。趙の丞相として力添えを願うと呂不韋は民の数は秦が多いし国庫の殻物と貨幣の蓄積で趙は秦に劣ると言います。
なにより嬴政の天下統一を願っており趙の丞相など興味などないので招きに応じることはありませんでした。
諦めることが出来ない春平君は魏や韓、燕を説得し4国の丞相になってもらいたいと再び訪ねます。食客が唆され巻き込まれる可能性があると警戒した嬴政は呂不韋を蜀に流すよう命じました。
これ以上滞在しても無駄だと三国の使者は帰還してしまい幻滅する春平君だが韓非から文が届き薄情なる秦王は弟を殺して生母を幽閉し呂不韋を蜀に移すのも才能と威信を恐れたせいだと噂を広めます。
第64話・呂不韋の死
客や諸国と謀って反乱を起こすのではないかと警戒され蜀に流された呂不韋はこれまで嬴政が天下統一を果たすことを夢見てきたが末路に絶望し鴆酒を仰いで自死します。
紀元前235年、秦王・嬴政12年、2代の王に仕え功臣を取り立て東周を滅ぼし灌漑水路を建設し嬴政の天下統一の基礎を築いた呂不韋は亡くなります。
呂不韋の自死を知らされた嬴政は激怒すると秦と王のために自死したのだと李斯に言われます。
嬴政は趙への進軍を命じると6国が合従を協議している今、趙の平定は難しくかえって団結を促してしまうと進言されます。
しかし呂不韋を失った嬴政は強引に決めたことだと一喝し三日後の侵攻を命じました。無理な命により多くの兵を失い期待に応えられなかった桓齮大将軍は自害します。
嬴政14年、桓齮大将軍は趙の名将・李牧に大敗し東進を始めた嬴政にとって初めての挫折となりました。