永楽帝 大明天下の輝き/作品概要
明の最盛期を築いた第3代皇帝・永楽帝の波瀾万丈の生涯を描いだ作品
あらすじ
明朝の太祖・洪武帝の四男・燕王の朱棣は軍略家として成長していたなか、皇帝から寵愛を受ける長男・朱標の息子・朱允炆が皇太孫に指名された。洪武帝が崩御すると朱允炆は第2代皇帝に即位し建文帝となるが、その地位を固めるために皇族たちの王位を次々と廃止していく。これに対し燕王・朱棣は北平にて挙兵し首都・南京を陥落させて第3代皇帝・永楽帝として即位する。5度の漠北への親征、安南奪還、永楽大典などの勅撰書の大編成事業などを手掛けたほか、都を北平に遷都し明を全盛期へと導いていく。
「永楽帝 大明天下の輝き」全話あらすじ一覧はこちら
キャスト
ネタバレ感想/永楽帝
21話・去り行く両雄
北元軍が居庸関を侵犯して以来襲撃が相次ぎ既に78回を越えていました。
まとまりがない事を不審に思った朱棣たちに徐達はここにいても分からないのなら偵察に出ればいいと言います。
草原へ偵察に出ると朱棣に仕える朱能は規模を見る限り王の葬儀ではないかと言い、朱棣は一人生け捕って来いと命じます。
十数年ぶりに科挙が実施され李善長が選んだものたちは功臣と関わりがあったが呂本が選んだ400余人は学問に秀でた貧しい家の子弟ばかりでした。
陛下はお前の舅は大局や進退を弁え理解が早いから悪くないと太子に告げます。
北平城に戻る朱棣は病に倒れた徐達に呼ばれると朝廷から後任の者が来るまで北平軍の指揮をとれと命じられます。
徐妙雲は姚広孝から伝えてもらった方が効果的と考え「身を守るため功を立てるなら今だ」と伝言を託します。
朱棣は待ちに待っていた張玉がやってきたので5千の兵を率いて楡木川へ出発します。鄭亨将軍は長年北元と矛を交えたお前達が負ければ面目を欠くぞと訴え出発します。
朱棣は「徐達の娘婿ですが用兵については斉王に似ていますね」と張玉に言われます。
徐達は皇帝がお見舞いに来てくれたので「ここまでのようだ」と告げるとまだまだ頼みたいことはあるから力を温存しとけと言われます。陛下に会えぬまま逝くのは恐ろしかったがお会いできた今後悔はないと告げます。
「兵を起こし北征を行なうべき、用兵の好機はすぐに過ぎ去るもの、内乱に乗じて深手を与えなければ数年後には必ず内乱を勝ち抜き頭角を現す者が出ます」
22話・北征の主将
徐妙雲は鵞鳥の丸焼きを作って持っていくと徐達は食べてもいいのかと子供達に聞いてから口にします。
太子から徐達が亡くなったと訃報が届く陛下は涙を流しながら想い出を振り返り、徐達を弔い中山王に追封すると告げます。
すると朱棣が800里も奥地へ向かったと軍報が届き、主将が危険を冒すのを副将の陳亨は止めなかったのかと激怒します。
朱棣は都に報告して褒賞を奏請するため功を立てた諸衛と戦死した兵の名簿を作れと張玉に命じます。陳亨たちが面会を求めてやってきたので中に通すと北平を死守し明を守り抜く所存だと跪かれます。
陛下は敵の高官らを捕え手柄を立てたゆえ朱棣が敵地に踏み込んだことは不問とします。しかし朱棣の無鉄砲さを重臣達から問題視されたので沐英を昆明から呼び戻せと告げます。
しかし雲南は安定したばかりだと太子に言われたので、過ちを償う機会を与えるため藍玉を征北大将軍に任じます。
洪武20年、征北大将軍・藍玉は20万の大軍を率い漠北に進軍し遼東を征伐し北元開元王の10余万の兵を投降させ遼東を平定させました。
洪武21年、藍玉が捕魚児海で北元軍を撃破し北元の天元帝は命からがら逃走、明は18年で6度にわたる大規模な北征伐の末に漠北を占拠していた元朝政権の残党を壊滅させました。
23話・賞罰の均衡
藍玉は北元の残党を壊滅させたことで再起を果たし戦功に酔いしれ敵の馬や女子を朝廷に献上せず私物化します。
太子は分をわきまえない藍玉に苛立つが朱元璋から皇族と老臣の不和は悪い話ではないし腹の中まで見えて扱いやすいじゃないかと助言されます。
藍玉は不届き者だが戦に長けていて太子妃の叔父でもあるので涼国公の爵位を与えたいと告げると許可を得ます。
持ち上げておいて落とすような真似をされ藍玉は上奏した耿炳文の仕業だと一方的に恨みます。
朱元璋は錦衣衛を西安に派遣し秦王妃を捕えるよう命じます。
都に呼ばれた朱棣は3年振りに太子と再会し食事を楽しむと朱樉とその妻が都に護送されてくると知らされます。秦王妃は詔獄へ、朱樉は大宗正院で拘禁され、徐妙雲は秦王妃の面会に行くと離縁状を渡すよう託されます。
太子と朱棣を朱樉に離縁状を届けると封号を剥奪されるのを黙って見届けろとでも言うのかと破かれてます。
もう夫婦の問題ではないため頭を悩ます太子だが太子妃・常氏が難産により出血を起こし命を落としてしまいます。
24話・2つの詔
朱棣は姚広孝に会いに行くと張玉がいたのでどうしてここいるのか聞くと世子の建康をご祈祷にきた徐妙雲の付き添いだと知ります。
朱棣は陛下が再度、漠北に打って出る気のようだが上奏すべきだろうかと相談すると「目先の事象に惑わされず冷静に布石を打つべし」と言われます。朝廷では北征に向け気勢が大いに上がっているが、そんな時にたきつける必要があるかと問われます。
開平王に見習って先鋒を務めたいと上奏すると「父上が北征に出たときは中山王が主将で開平王が先鋒だったため藍玉を頭に据えても心を合わせて難事に当たるので案ずることなく任命をという意味では?」と太子は言います。
朱元璋は藍玉を大将軍に朱棣と朱棡を左右の副将軍に任じて出征を命じます。李景隆は陛下は藍玉に軍を任せたが目的は明らかに燕王と晋王を鍛え上げることだろうと允恭に話します。
太子は傅友徳に二つの詔を渡し、藍玉が私怨で大局を損なったら一つ目の詔に従い兵権を取り上げ、燕王が損なえば2つめの詔に従い北平に送り返して特命させよと告げます。そして何事もなかった時は大軍の徴兵を持って詔を返すよう言います。
朱棣は戸部の夏原吉と出会い何故ここにいるのかと聞くと、軍糧を浪費し民を苦しめると太子に諫言したところ軍糧と俸給の監督者として従軍して戦をすべきが見てこいと命じられたことを知ります。
20里以上進軍しても北元の者が見当たらなかったが藍玉は湖に向かって進めと命じます。朱棣は朝廷は消滅し軍も崩壊し10万の残兵は身軽な状態で冬を越す場所が必要だが乃児不花の兵は2万にすぎず手持ちの食糧で持ちこたえられるので偵察騎兵を派遣する策が有効と意見するが聞く耳を持たれません。
命に背き騎兵500と軍営を出た朱棣は千戸百戸を集めよと燕山三衛に伝えるよう命じ武器、馬、食糧と共に1時間以内に準備するよう指示します。
藍玉は全軍撤兵を命じるが下っ端の関所にまで軽んじられたので攻撃し自国の兵を殺します。