永楽帝 大明天下の輝き/作品概要
明の最盛期を築いた第3代皇帝・永楽帝の波瀾万丈の生涯を描いだ作品
あらすじ
明朝の太祖・洪武帝の四男・燕王の朱棣は軍略家として成長していたなか、皇帝から寵愛を受ける長男・朱標の息子・朱允炆が皇太孫に指名された。洪武帝が崩御すると朱允炆は第2代皇帝に即位し建文帝となるが、その地位を固めるために皇族たちの王位を次々と廃止していく。これに対し燕王・朱棣は北平にて挙兵し首都・南京を陥落させて第3代皇帝・永楽帝として即位する。5度の漠北への親征、安南奪還、永楽大典などの勅撰書の大編成事業などを手掛けたほか、都を北平に遷都し明を全盛期へと導いていく
キャスト
ネタバレ鑑賞感想/永楽帝
41話・永楽の光と影
李景隆は国には一日たりとも天子が欠かせないので明国のために速やかに帝位に就くよう求めます。大臣たちも跪いて求めるなか朱棣は天子が自害するなか跡継ぎには才徳ある皇族を選ぶべきと朱棣は拒否します。
そして自害したのは奸臣に惑わされたからだと告げ黄子澄や斉泰を捕えるよう命じます。
朱棣は夏原吉を呼び寄せると予想通り財政について尋ねてきたので江南で水害が起きたが甥は対処できていないので行ってくれないかと頼みます。
方孝孺に即位の詔を書かせるよう命じるが彼が書き記したのは「燕賊、簒逆す」だったために朱棣は激怒して斉泰たち逆賊とその家族を全員刑場に送るよう命じます。
西暦1402年、洪武35年(建文4年)、燕軍は南京を陥落させると朱允炆は失踪、朱棣は粛清を実施しました。
朱棣は捕らえられた鉄鉉に会いに行きお前が朱允炆を推さなければ戦になる事はなかったと告げます。皇帝に就いたらお前の力が必要だと告げるが忠臣は2人の主に仕えぬもの、興宗に忠を尽くしたいと言われます。
共に歩めないのだと分かり一家で海南へ流すと告げるが何を求めているか分かっているはずと強く訴えられ斬首を命じました。
天子になる準備は整うが都にやってきた徐妙雲は弟が幽閉されるので生きる屍とさせる気かと訴えられます。
西暦1402年、洪武35年(建文4年)、朱棣は南京で明の永楽帝として即位する。永楽帝は即位して2年間で遣使の派遣や内閣の樹立を行ない文化や教育の発展、削藩にも尽力しました。
42話・財政の再建
タタールとオイラトが辺境に攻め寄せているが辺境軍は北元に侵攻させたことはありません。夏原吉から伝言を託された楊栄は蘇松の銭糧が免除され江南の官民が天恩に感謝しているが洪水による朝廷の損失がいつ穴埋めできるのかと告げます。
永楽帝は南方の水害で大規模な出兵はできないので不測の事態に備えタタールに親交を結ぶなら仲間と見なすと使者を送らせます。
永楽帝は江南と山西の民を山東と北京に移住させたいと思います。タタールに何度も使者を送っているがここ3年返事はなく権臣のアルクタイが鬼力赤を大汗に擁立してからオイラトとの争いが絶えないようでした。
姚広孝に「還俗し俗姓に復せよ、広孝の名を授け資善大夫とする」と聖旨を伝えさせるが逃げたと報告を受けます。呼び寄せると錦衣衛指揮使の紀綱と左都御史の陳瑛を厳罰に処すようにと上奏があっても訴えを抑えこんだのは何故かと聞かれます。
「将来、皇位を継ぐ者は限定され、自らは陛下に及ばないと認められる者でなければならない。そのような者だけが陛下が崩御なさったあと戦をやめ民と共に生きる事ができるのです」
農業経済の回復、手工業と商工業の発展、大規模な官営造船業の確立、海外貿易の発達および対外移民の増加、が鄭和による西洋下りの経済的基礎を築き、また造船業の発達、羅針盤の使用、航海経験の蓄積、多数の船員の養成、航海知識の増加により西洋下りに必要な技術と条件が整います。
朱棣が鄭和を西洋に派遣した目的は各国を威服し和平外交を実現することでした。