「キングダム戦国の七雄」3話4話ネタバレあらすじ&視聴私感

中国時代劇「キングダム戦国の七雄」

500年以上も続いた春秋戦国時代の終焉と大秦帝国誕生までの壮大な物語

人気漫画「キングダム」の舞台となっている春秋戦国時代末期、大陸で覇を競った戦国七雄の興亡をリアルに描いた本格派歴史ドラマ!!!

燕国篇、趙国篇、楚国篇、韓国篇、魏国篇、斉国篇、秦国篇の全7話構成され、それぞれの国と王にスポットを当てたドキュメンタリー。

監督・脚本は「復活的軍団(原題)」で多くの賞を獲得したジン・ティエムー。中国の動画レビューサイト「豆瓣」では10点満点中8.1点、中国版「ゲーム・オブ・スローンズ」と称された。

 

キングダム戦国の七雄/全7話あらすじ一覧

全7話で紹介

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ネタバレ私感/キングダム戦国の七雄

趙雍/武霊王(ユー・ロングァン)姫職/昭王(ワン・ジンソン)熊槐/懐王(リン・ヨンジエン)公孫鞅/商鞅(ユー・エンタイ)申不害(ハイ・イーティエン)魏斯/文侯(ケント・チェン)田地/湣王(リー・リーチュン)など

 

3話/楚編・貴族の死

鬻熊が周の天子から小爵の位を得て楚国を建国

西周初期の楽邑、初代君主・熊繹は天子の血筋ではなく功臣でもなかったので子爵は低い爵位である事から諸侯から低く見られます。

紀元前711年、中原の文明とは異なる独自の発展を遂げ、17代王・熊通(武王)が率いる楚国は一代で大国の仲間入りを果たしました。

それでも子爵という低い地位から他国からは見下されるので周の血筋を引く随を武力で脅し続け爵号を高めようとしたが周王に認められません。

 

紀元前711年、熊通は周の意向に背き自ら王を名乗ると宣言すると他国と道を分かつこととなります。その後、数百年で楚は40余あまりの国を滅ぼし勢力は中国南部を覆うほどになります。

紀元前391年、戦国時代に突入し北方の魏が変法を勧めて強盛を誇り楚にとって大きな脅威になります。33代王・熊疑は貴族たちは一族の利益を重んじ変化を望まないので何の手立てもなく嘆くしかありません。

紀元前386年、魏から離れた呉起に国を託したいと思い令尹に任命し改革に乗り出します。貴族の楚王への忠誠は表向きでだけだったので呉起は俸禄を節約し国庫を満たすために官吏の削減を行い、功労を挙げることなく名だけの貴族は封号と領土を剥奪し越の地へ送ります。

貴族の持つ私兵は国の軍隊へと吸収し王権を強めようとした事で呉起は貴族全てを敵に回すことになります。

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呉起は魏に占領されていた陳と蔡を取り戻し勢力は黄河の河畔にまで及びました。紀元前381年、外征中に熊疑が突然死去したために呉起は葬儀の場で貴族たちに襲われ命を落とします。

新王は先王の亡骸を傷付けた罪で70余家の貴族を一族皆殺しにしたが国に殉じた呉起に恩賞はありませんでした。

戦国時代中期、斉と魏が覇を争い、そのあと秦が急成長し東へと領土を広げました。南方の楚は半世紀余り平穏な時を過ごすが西部を秦によって浸食され始めます。

紀元前312年、37代王・熊槐(懐王)は斉と断行すれば土地を返すと秦に言われ信用したが秦が土地を返さなかったために怒って兵を出します。しかし8万の兵を討たれてしまい丹陽と漢中の地を落としてしまいます。

 

紀元前302年、楚の虚勢は崩れ去り太子・熊横を人質として秦に送るが人を殺めて逃げ戻ってきます。秦王から会盟の申し出があり熊槐は出向くと捕らわれの身となり、熊横が即位して新王となります。

紀元前296年、熊槐は秦で命を落とし紀元前284、熊槐を支持した屈原は左遷されます。この年、燕によって斉は滅亡の危機に陥り楚は最後のよりどころを失います。

紀元前279年、戦神と称される白起が侵攻してくると数十万の命を失い、民は都を捨てて逃亡し、楚王は数百年続いた都を捨てるしかありませんでした。

楚は都を遠く寿春へと移したが秦の手から逃れることはできず、紀元前263年、熊横は息子の熊完を人質として秦へ送ります。

秦へ来て10年、熊完は春申君の計らいを受け楚に戻ります。

 

春申君は令尹となり楚で権力を振るい20年が経ちます。子を身籠った李園の妹を熊完に献上するが楚で権力を振るう李園によって一族もろとも滅ぼされてしまいます。

紀元前228年、春申君の子は楚王となるが王室の血脈は混沌に陥っており、趙人である李園は負芻に殺されます。負芻は楚王となるが秦による統一戦争は幕を開けており、紀元前230年、秦は韓を滅ぼし趙を陥落させると紀元前225年に魏を滅ぼし矛先を楚に向けられます。

最後まで抗うと秦20万の精鋭を大いに破り天下を驚愕させます。項燕将軍が討たれると負芻は秦の捕虜となるが最後まで投降せず紀元前223年に滅びました。

(自分たちの利益を最優先する貴族のせいですね。呉起のやり方を貴族たちが受け入れれば分からなかったね。春申君は食客の李園にしてやられるとは誤算だっただろうに・・)

 

4話/韓編・権謀術数の代償

紀元前583年、春秋時代

晋の大氏族である趙氏が無実の罪で殺戮に遭い、他の氏族が趙氏との関係を断つなか幼くして趙家に引き取られ育てられた晋の重臣・韓厥は晋国第26代君主に謁見します。

功臣だった一家を滅ぼしては国に尽くす者がいなくなってしまうため趙家の再興を命を懸けて願い出ます。趙氏の孤児・趙武を救い再興に一役買うと韓氏は恩を忘れない忠義ある人物だと噂が広まりました。

 

紀元前465年、100年あまり韓氏は晋の強豪氏族になっていました。韓厥の子孫・韓虎は趙氏と盟を結び魏氏を加えた3氏で晋の領土を分割するが人口も土地も最少であり敵に囲まれているので南の鄭を手に入れようとしていました。

紀元前403年、韓・趙・魏は諸侯に封じられ正式に3国が誕生すると、春秋時代が終わり武力征服と弱肉強食が世の掟となると7大国が覇権を争う戦国時代が始まります。

紀元前375年、鄭を滅ぼした韓国は戦国初期の強国となり4代君主・哀侯は新鄭を都とします。韓廆と厳遂が口論となると厳遂に恩がある聶政は襲撃して韓廆を殺めるが哀侯も誤殺してしまいます。

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懿侯が即位すると魏を滅ぼして晋を統一したいと口にします。紀元前369年、魏で内紛が起こると趙と協力して攻めるが両君主に意見が合わず頓挫してしまいます。

魏に恨まれた韓の黄金時代は20年と短かった。紀元前354年、即位した昭侯は恨みの種を引き継ぎ変法の実施で戦国一の覇者となっていた魏に狙われ成す術がありませんでした。

申不害は圭の礼で魏侯に会えば撤退するはずと進言すると、昭侯は国を守るためにも一時の屈辱に耐えます。1年後、魏が趙に攻め込み邯鄲を包囲したために申不害は斉と連合軍を組織し救援に行って魏軍を大敗させます。

紀元前351年、宰相に任じられた申不害は貴族の財産を没収し私兵も解体し国庫に編入させると軍の人員は増え兵力は短期間で向上します。昭侯は申不害の教えに従い役人を鍛え監視し審査して賞罰を与えます。

 

紀元前333年、昭侯が亡くなり韓康が引き継ぐと強国となった秦に狙われ、敵対する各国は手を組むしかなくなります。

紀元前293年、秦に大敗。紀元前262年、10代君主・韓然は秦に蚕食され頭を悩ますと進言を受け、秦と趙に使者をやり上党を献上すると告げます。こうして秦と趙を戦わせ自国を守ります。

紀元前260年、45万人の趙人が戦死し秦により打ち砕かれると韓も最後のよりどころを失います。2.3年で国力を回復した秦から再び進行を受けると韓国は結局上党を失い国土は2つの郡だけになってしまいます。

韓然は国を守るため水路建設を行う秦に鄭国を送るが、鄭国の職への愛は祖国への愛を上回り韓を裏切り秦のために励みます。

 

末代君主・韓安は韓非を秦に送るが牢獄で亡くなり、紀元前231年、韓非の死の2年後に秦に侵攻され、6国のうち韓国は最初に滅びることになりました。

(弱小国ながら他国の協力を受けたり他国を争わせたりと頑張った感がものすごく伝わってくるwwだけど韓を描くなら韓非のことは詳しく紹介してほしかったよね。もしかしたら秦編で出てくるのかも!!)

5話からのネタバレ

 

 

華流ドラマ
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