「永楽帝 大明天下の輝き」17話~20話ネタバレあらすじ&視聴感想

作品概要/キャスト

明の最盛期を築いた第3代皇帝・永楽帝の波瀾万丈の生涯を描いだ作品

明朝の太祖・洪武帝の四男・燕王の朱棣は軍略家として成長していたなか、皇帝から寵愛を受ける長男・朱標の息子・朱允炆が皇太孫に指名された。洪武帝が崩御すると朱允炆は第2代皇帝に即位し建文帝となるが、その地位を固めるために皇族たちの王位を次々と廃止していく。これに対し燕王・朱棣は北平にて挙兵し首都・南京を陥落させて第3代皇帝・永楽帝として即位する。5度の漠北への親征、安南奪還、永楽大典などの勅撰書の大編成事業などを手掛けたほか、都を北平に遷都し明を全盛期へと導いていく。

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永楽帝/燕王/朱棣(青年期までチョン・イー/壮年期以降ウィリアム・フォン)太祖・洪武帝/朱元璋(チェン・バオグオ)徐達(チャン・フォンイー)朱標(ミッキー・ホー)建文帝/朱允炆(チェン・ユエモー)徐妙雲(イン・アル)皇后馬氏(ワン・ジー)李善長(ワン・チンシアン)隆基(ワン・ジンソン)など

 

「永楽帝 大明天下の輝き」全話あらすじ一覧はこちら

 

 

ネタバレ感想/永楽帝

 

17話・好機の到来

徐妙雲は皇后・馬氏に謁見を求め雨の中跪くと伯雅倫海別が傘をもってやってきます。

やっと皇后が出てきてくれるが徐妙雲はそのまま倒れてしまいます。皇后はすぐに侍医を呼ぶと徐妙雲が二人目を身籠もっていると知り陛下(太祖/朱元璋)を呼びます。

すると太子妃(常氏)たちが徐妙雲と二人の子に恩情を賜れるようお願いにやってきます。太祖は朱棣を恵済寺に移し経典を学び誠心を修養せよ命を下します。

軽い処分に朱亮祖は怒りが収まらないが胡惟庸は燕王に手心を加えたからには我らに厳罰には処さないだろうと思います。

 

恵済寺に到着した朱棣は姚広孝から各地の官吏が税糧を納めに都に来ることを知らされます。徐妙雲が心身を清めて皇后の代理で祈祷に来たので再会を喜び抱き合います。

太子(朱標)は武英殿に向かうと錦衣衛が集まっており朱柏(12皇子)が錦衣衛指揮副使に就任したことを知ります。陛下の詔により京軍留守司の軍馬は徐允恭と李景隆が管轄することになり全ての城門を封鎖し許可亡き者は通すなと命じます。

朱棣が待ち望んでいた好機の到来でありやってきた朱柏に城内の全ての宿を包囲し税糧を納めにきた各省の官吏を捕えるよう命じます。

 

朱棣は民から搾取していた官吏を捕えて陛下に報告すると朱柏は職から外すし官印を与えていないから形だけだと告げられます。太子は朱棣に欺かれていたが共に育った弟を信じられなかった事を悔やみます。

(鉄鉉も知ってたの?あれだけ酷い拷問を受けていて無事だったのかな?だけど聞かされていたから屈しなかったのね。太子は弟を信じられなかったこともそうだが陛下から何も聞かされなかった事はショックだったのではないかな・・・)
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18話・空印の業

朱棣は参内を命じられ陛下と太子に挨拶します。戸部や大都督府など中央の衙門をはじめ各布政司、布、州、県にいたるまでの空印事案に関わった官吏の名簿を見せられます。

胡惟庸の名前がなんでないのかと思うが1千703人に上るので有罪は確定しているが処罰はどうするかと太子に聞かれます。名簿を刑部に送り等級や着服額に応じて刑を定め、着服額の多い高官は死罪とし脅されて加担した者は国境の軍に送ればいいと意見します。

永嘉侯父子を捕えたと報告があると命じていた太子は高官を厳罰に処し天下の官吏たちへの見せしめにすべきと進言します。

明初、洪武帝は空印による官吏の不正を知り大規模な粛清を実施し連座した者は万を超え、胡惟庸は皇帝と宰相の権力争いにおける犠牲となりました。

 

胡惟庸は死後の名誉のことを考え罪を認めると太祖は自害を許し骸も残してやれと太子に告げます。とりあえず終結とされると朱棣は公侯の横領を示す帳簿が見付からないので腑に落ちないでいたが徐妙雲が倒れたと知り急いで向かいます。

難産で苦しんだもの徐妙雲は無事に次男・朱高煦を出産します。

胡惟庸が自死を賜ってから十月近く経つがあまりに多くの粛清が実施されたので欠員の補充が終わりません。

 

礼部祠部主事となった寧海の方孝孺は母親を連れて都入りし錦衣衛と荷法を廃し尋問や刑罰を和らげるよう上奏し朱棣は矢面に立つ事になります。

太祖は錦衣衛を弾劾する奏状を並べると鉄鉉の署名を目にします。朱棣は今回の弾劾は空印事案を切り抜けた誠実な官吏たちであり、なかでも戸部の夏原吉は忠実なことで知られているので忠義の士を失ってしまうと悩みます。

朱棣は恵済寺に行くと方孝孺とすれ違い、姚広孝から彼の父親は濡れ衣だったが連座されて粛清されてしまったことを聞かされます。

(李善長/韓国公は淮西派の公侯たちを助けなかったがすぐに失脚するはず、粛清とは恐ろしい。ここから止まらないのかな、官吏として強制的に登用していかないと国が成り立たなくなってしまいますね)

 

19話・兄弟の情

太祖・洪武帝は胡惟庸たちが着服したのは民から余分に徴収した税糧で朝廷の収入に損失はないが民には搾取も同然なので税の免除を考えてほしいと徐輝から進言を受けます。

戸部で起草せよと告げるが一連の事件で多くの者が処罰され朝廷や各地の役所は深刻な官吏不足に陥っていました。

多忙を極める戸部に経験の少ない者を登用すれば混乱が増すだけであり、数ヶ月の間に吏部が推挙した人材で就任に応じたのは3割以下でした。

 

朱棣は訪ねてきた太子から人々の恨みや憤り誹謗も全て自分が受け止めると言われます。鳳陽の件はお前が正しいと子供の頃と同じように頭を撫でられ涙を流し深々と頭を下げます。

太子は陛下を訪ねると李善長を推挙する者の名簿を見せられるが李善長は淮西派なのに推挙する者の中に淮西派がいませんでした。胡惟庸たちの不正を暴いた空印事案から半年は過ぎているので朱棣に次の任務を与えるべきと告げると鉄鉉と朱棣を連れて来いと言われます。

鉄鉉が陛下を諫めたので太子は叱責するが諫言できる臣下がいれば国は滅びないと言うから構わないと陛下は言います。六科給事中を新設するが恨みを買う職を勤める度胸はあるかと訴えられた鉄鉉は喜んでお受けすると言います。

 

明は丞相を廃し五府六部と都察院、通政使司、大理寺などの衙門を置き天下の庶務を分担すると詔が発令されます。

伯雅倫海別は太子と朱棣が漕運の視察に来ると知り食糧を南から北平に運ぶのに都合が良い運河なので知らせを届け東宮を監視し太子に随行する者を探るよう告げます。

(鉄鉉はやがて朱棣と対立し戦う事になるのよね、まだまだ先かしら?にしても悪徳官吏を粛清しただけなのよね、みんな嫌がると言うことは不正できないから?ww)
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20話・悲運の連鎖

朱棣は国の緊張を緩める方法が分からないと姚広孝に相談するとそれは陛下も同じだが名利と地位を餌に天下の英雄を集中に収めようとしていると言われます。

六科に六部を観察させ都察院に百官を観察させた、そして六科と都察院は牽制し合う関係なので天下の文武百官に異変が生じれば陛下は細大漏らさず掌握できます。以前であれば中書省で地位の低い七品の官吏が宰相や侍郎への昇進を目指すとなれば何年かかるか分からなかったが陛下が勅命を出せば要職に就いて天子の近臣になれるのだから天下の学徒が心動くだろうと姚広孝は言います。

 

太子と共に漕運の視察に出る朱棣は陛下が開封に遷都を考えているのかと聞くと一望千里の平野で都には向かないと言われます。洛陽に遷都し漕運が円滑に進めば辺境軍を削滅せきると太子は言うが雄英(皇長孫)が気を失い落馬したと報告を受け急いで戻ります。

陛下の命で駆け付けた侍医は重い痘瘡にかかっていると診断します。皇后は自分が世話するから坤寧宮に運ぶよう指示し太子と朱允炆は助けて欲しいと先祖様にお願いします。

しかし雄英は亡くなってしまい皇太子妃・常氏は泣き崩れます。看病していた皇后は痘瘡にかかり誰にも移さないよう鍵を閉めてお見舞いに来る太子や朱棣たちを寄せ付けません。

伯雅倫海別は自分はかつて痘瘡にかかったことがあると訴えると中に通されるが陛下は皇后が危篤だと報告を受け向かうと拒まれてしまい、太子も病に伏せてしまいます。

皇后が崩御すると朱棣は錦衣衛の弾劾の権力を停止し北平への就藩を命じられます。

 

3年後、洪武17年に科挙を再開すると陛下が天下に表明され昨年北平の郷試で103名が合格しました。晋王、周王、蜀王も応試者を支援しており朱棣は当地の応試者に路銀の援助をされてはどうかと進言を受けます。

陛下は親王は就藩後に地方の政務に関与してはならぬと仰せだったので期待には沿えぬと告げます。

(燕王以外の就藩した親王は当地の応試者を援助してしまい陛下の悩みは尽きないですね。皇后が面倒見るときに何で誰も止めなかったのかな、不思議)

21話からのネタバレ

 

 

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